SOHO Internationl Art Institute
The communication of arts by satellit
大山 忠作先生ご逝去。
2009年2月19日敗血症による多臓器不全のため永眠につかれました。(享年86歳)
●「日本画の自然と精神の同一性」
日本画家 大山忠作
文化勲章・文化功労者・芸術院会員
・日展会長・審
私が本格的に画を描き始めたのは、終戦翌年の昭和21年からである。その年の3月、私は台湾から復員して来たのであるが、その時、上野の美術館で第1回の日展が開催されていた。私は軍服のまま美術館に直行した。その時の感動は強烈な印象として今でも忘れる事はない。同じその年の秋に、第2回日展が開かれた。私は何も分からないまま、ともかく描くだけ描いて応募したが。幸いにも入選し、画壇へのスタートとなった。その時から現在まで60余年の歳月が流れた、、、、、、、、、2007年10月。
参考資料:「大山忠作 素描と作品自選展」日展編集。
● 年譜
- 1922 福島県二本松に生まれる。
- 1943 東京美術学校日本画科卒業。
- 1946 復員、第2回日展「O先生」初入選、1947年山口蓬春に師事・第3回日展「裸童」入選、1948年第4回日展「夏日」入選、1949年第5回日展「群童」入選。
- 1950 第6回日展「室内」入選、1951年第7回日展「少年裸像」入選、1952年第8回日展「池畔に立つ」特選・白寿賞・朝倉賞受賞、1953年第9回日展「浜の男」無鑑査、1954年第10回日展「瀧」入選。
- 1955 第11回日展「海濱」特選・白寿賞受賞、1956年第12回日展「曳く」出品依嘱、1957年第13回日展「石佛」出品依嘱、1958年第1回新日展「不動」出品依嘱、1959年第2回新日展「童子讃」出品依嘱。
- 1960年第3回新日展「漁」審査員、1961 社団法人日展会員・第4回新日展「無」、1962年第5回新日展「S先生」、1964年第7回新日展「紫香」審査員、1965年第8回新日展「羅漢」、1966年第9回新日展「淨韻」、1967年第10回新日展「幼童曼陀羅」、1967〜68年法隆寺金堂壁画再現模写に従事。
- 1968 第11回新日展「岡潔先生像」審査員・文部大臣賞受賞、1969年改組第1回日展「母子像」、1970年社団法人日展評議員・第2回日展「浄晨」、1971年第3回日展「浄光」、1972年第4回日展「五百羅漢」、1973年「五百羅漢」日本芸術院賞受賞、第5回日展「虹神」審査員、1974年第6回日展「古壁群相」。
- 1975 社団法人日展理事・第7回日展「連獅子」、1976年第8回日展「智恵子に扮する有馬稲子像」審査員、1977年第9回日展「京舞(猩々)」・日本経済新聞社主催<大山忠作―今日と明日>展、1978年第10回日展「青海波(中村扇雀)」審査員、1979年社団法人日展惨事、第11回日展「月・花・妓」、1980年第12回日展「爽涼」・成田山新勝寺光輪閣襖絵完成記念展開催、1981年社団法人日展理事・第13回日展「霊歌の碑」審査員、1982年第14回日展「横綱」、1983年第15回日展「転生」、1984年第16回日展「松韻(蕉翁)」、1985年第17回日展「辨慶(市川団十郎)」審査員。
- 1986 第18回日展「瀧」・日本芸術院会員、1987年社団法人日展常務理事・第19回日展「揺曳」審査員、1988年第20回日展「俑」、1989年第21回日展「天橋」、1990年第22回日展「月峯」、1991年社団法人日展事務局長・第23回日展「荷花」。
- 1992 社団法人日展理事長・第24回日展「湧雲山響」審査員長・興教大師850年御遠忌・成田山聖徳太子堂落慶記念<大山忠作壁画展>開催、1993年第25回日展「天壇白日」審査員長・朝日新聞社主催<現代デッサン・シリーズ―大山忠作>展・画業50年記念展開催、1994年第26回日展「虹立つ」審査員長、1995年社団法人日展常務理事・第27回日展「霧(高村智恵子)」審査員、1996年勲三等瑞宝章受賞・第28回日展「みちのく残照」、1997年第29回日展「雪(良寛)」、1998年第30回日展「日本」審査員。
- 1999 第31回日展「蓬莱朝陽」・文化功労者、2000年第32回日展「黎明瑞翔」、2001年第33回日展「猫家族」、2002年第34回日展「光池游々」審査員、2003年社団法人日展顧問・第35回日展「日章龍鳳図」、2004年第36回日展「光散華」、2005年社団法人日展会長・第37回日展「紅楓游鯉」審査員。
- 2006 第38回日展「瑞翔」・文化勲章受賞。
|